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宗谷本線往復旅2011(その3:名寄→音威子府)

[宗谷本線往復旅2011 記事一覧はこちら]
その2の続き。我々は名寄駅に到着したところ。

名寄駅に停車している旭川行の快速なよろ(キハ40 708)。



その名の通り、多くの列車が旭川~名寄間での運行だが、旭川音威子府間のサボが掲げられているこの列車のように、一部の便が音威子府まで足を伸ばす。

駅裏、東側に目を遣るとJRの運行関連施設が目に入る。

ここには宗谷北線運輸営業所(参照:Wikipedia)があり、宗谷本線名寄以北の運行管理を担っている。旭川から乗ってきたキハ54-513を含め、キハ54-508~513の6両がこの運輸営業所に所属し、主に宗谷本線での運用に就いているとのこと。
ちなみに、宗谷北線運輸営業所所属の車両には下のシンボルマークが取り付けられている。車内には沿線自治体のパンフレットが置かれているなど、細かいところが地元仕様になっていたりする。

車庫の脇の側線には、保線用と見られるホッパ車(ホキ1000形)4両がDE15に牽かれる状態で留置されていた。

 

名寄駅を出発し、名寄川を渡る。


日進駅。無人駅の待合室ではあるが、割合しっかりと作られている印象。


北星駅。宗谷本線の多分に洩れず無人駅。

「毛織の北紡」と書かれた看板の取り付けられたこの納屋、これが北星駅の待合室である。


智恵文駅。駅名票背後にあるコンクリート製の基礎は、かつての駅舎のものだろうか。

名所案内看板にある「智恵文沼」とは、かつて天塩川だった水域が流路変更により取り残されてできた三日月湖である。

ちなみに今の駅舎はこの薄紫というか薄桃色の車掌車駅舎。


智北駅。ちほく高原鉄道とは関係ない。

待合室はプレハブ駅舎。ホームもコンクリ敷きでそれなりにしっかり作ってある印象だが、仮乗降場上がりの駅であるとのこと。仮乗降場=板張りホームや納屋のような待合室、という訳でも無さそうだ。


名寄美深道路(当時は名寄バイパス)と交差する。


南美深駅、仮乗降場上がりの駅。ここには写っていないが、板張りホームである。


美深駅。特急が停車することもあってかなかなか立派な駅舎だが、バスターミナルや観光案内所も併設した公共施設となっている。
赤字83線と特定地方交通線に選ばれた「日本一の赤字線」美幸線はこの駅から分岐していた。ここから旧美幸線沿いに山奥へ20kmほど行った仁宇布(にうぷ)には、「トロッコ王国美深(外部リンク)という施設があり、美幸線の廃線跡の往復10kmを、エンジン付きの保線トロッコに乗車(運転は普通自動車免許が必要)することが出来る。


初野駅。割合新しいプレハブ駅舎であるところを見ると、前は年季の入った納屋のような待合室でもあったのだろうか。申し訳程度の自転車置き場が待合室脇にあるのを見るに、周囲の農家の学生がここまで自転車でアクセスするのだろう。


天塩川をかすめる。


紋穂内駅。塗装にヒビの入った車掌車駅舎。
ここから国道40号まで出ようとすると、駅前から延長1.1kmの道道445号紋穂内停車場線を通ることとなる。この道道、道路自体が2車線ギリギリで、道中に1.5車線幅で待避所付きの紋穂内橋があり、終点の国道40号交点にはなかなか年季の入ったヘキサ(道道標識)が建っているといった、短いながらも道道フリークにはそそられるところが多い路線である(参照:北海道道445号紋穂内停車場線 - 蒼の街道(外部リンク・同行の友人・Pima氏のサイト))。
【2015/6/26追記】2015年6月に道道445号経由で紋穂内駅を訪問


恩根内駅。簡易駅舎がぽつんと佇む。


清水駅無人駅だが1面2線の交換駅。
木造駅舎の中に保線用具と思われる道具がガラス越しに見え、保線小屋として使われている様子を伺わせる。


天塩川温泉駅。

「温泉駅」ではあるが、当の天塩川温泉は、画像奥に見える交差点を左に曲がり、800m程行った所に存在する。


咲来駅。

かつては木材輸送で賑わったらしいが今は昔、プレハブ駅舎の質素な駅になってしまった。


進行方向左手、久々に集落が見えてきた。音威子府村の中心市街地だ。


そして到着、音威子府駅。


その4へ続く。

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