春の九州鈍行旅2012(その14:新水前寺→三角→久留米→日田)
その13の続き。
前日に別府〜大分〜熊本と移動し、熊本市内のネットカフェで就寝していた。
そして翌日3月22日(木)の朝。ネットカフェ近くの豊肥本線新水前寺駅へとやってきた。
まだ夜も明けない時間帯から、今日の乗り鉄はスタート。
今日は三角線・久大本線を乗りつぶし、長崎まで向かう。
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新水前寺駅駅名票(券売機券・小児券)。
5:40、普通 熊本行 1420M クモハ815-10(先頭、2両ワンマン)乗車。
5:48、終点・熊本駅到着。
駅跨線橋から見た新幹線熊本駅。
手前に立っている高架柱は、在来線駅の高架工事のもの。
発車を待つ、肥後大津行きの817系V001編成。
次に乗るのはこちら、キハ31形。
このキハ31形は、国鉄民営化直前に三島会社の支援名目で製造された車両の一つ。四国向けキハ32、四国・北海道向けキハ54と同様の目的の車両だ。とくに前面がキハ54と類似している。
6:24、三角線直通の普通 三角行 521D キハ31 14(先頭車、熊クマ、2両ワンマン)乗車。
通学時間帯だけあって、駅や車内には高校生の姿が。
網田駅停車中の車内から三角方面を望む。
進行方向右手、海の向こうに雲仙岳がうっすらと見える。
7:17、終点・三角駅到着。
三角駅の待合スペース。
三角駅舎の天井。草木をかたどった模様があしらわれている。
三角駅入場券(券売機券・小児券)
三角駅の駅舎。
天草地方の玄関口ということで、教会をイメージしたもののようだ。
三角駅前の風景。
7:25、三角線→鹿児島本線直通 普通 熊本行 524D キハ31-13(先頭車、熊クマ、2両ワンマン)乗車。
8:16、終点・熊本駅到着、鹿児島本線へ乗り換え。
8:30、鹿児島本線 普通 銀水行 330M クモハ815-3(先頭車、2両ワンマン)乗車。
9:21、大牟田駅で下車。
大牟田駅構内。
大牟田駅駅舎。
JR大牟田駅入場券(券売機券・小児券)。
ようやくSUGOCA圏内(2012年当時)に入ったということで、SUGOCAも購入。
そして隣接する西鉄大牟田駅へ。
西鉄では入場券の発売を行っていない。
そのため最短距離となる大牟田駅150円区間乗車券(券売機券・小児券)を購入。
加えて、こちらではnimocaを購入。一気にICカードの手持ちが増えた。
9:40、普通 鳥栖行 332M クハ816-15(最後尾、熊クマ、2両ワンマン)乗車、久留米駅で乗り換え。
10:20、快速(福間から普通) 門司港行 4120M クモハ810-110(5両目、8両編成)乗車。
10:26、鳥栖駅で下車、折り返し。
10:28、普通 八代行 5331M クハ816-1006(先頭、熊クマ、2両ワンマン)乗車。
10:36、久留米駅で下車。
久留米駅入場券(券売機券・小児券)。
久留米駅前の風景。
再び改札内へ。
ホームへ降りると、ちょうど特急ゆふいんの森のキハ71系が走り去るところであった。
JR久留米駅在来線駅構内。
左手にある高架は新幹線駅。
久留米駅ホームから熊本方面を望む。
2番線ホームに停車中のキハ200-1002。
11:14、久大本線 普通 由布院行 1834D(日田-由布院1845D) キハ200-2(先頭車、分オイ、2両ワンマン)乗車。
キハ200-2車内に掲出されたローレル賞受賞プレート。
久留米駅で購入したかしわめしのおにぎりを昼食にいただく。
田主丸駅停車。
ここは駅舎が河童を模した造りになっており、駅ホームにも河童像が鎮座している。
筑後川(三隈川)の流れを見ながら走る。
12:12、日田駅に到着。
ここで20分ほど停車するので、一旦下車する。
側線に留置されていたキハ125-13。
その15に続く。
春の九州鈍行旅2012(その13:高森トンネル公園→立野→熊本→熊本市電→熊本電気鉄道)
その12の続き。
南阿蘇鉄道で高森駅までやってきたところ。
折り返し列車まで時間があるので、徒歩でやってきたのは高森湧水トンネル公園。南阿蘇鉄道高森線高森駅付近と、高千穂鉄道高千穂線(廃線)高千穂駅間を結ぶ未成線の高森トンネルの一部だ。
ここが公園になった経緯であるが、戦前より熊本と延岡を結ぶ九州横断鉄道の構想があった。
戦後の1962(昭和37)年になり、鉄道審議会が上記の区間を含む高森~日之影間の建設を決定し、1973(昭和48)年12月にこのトンネルも着工した。
しかし、1975(昭和50)年(注:Wikipediaは1977年となっているがソース不明)2月に予定延長6,500m)の入口から2,050m地点で突然の大量出水に見舞われ、その後も出水が頻発。これが主因となり工事が中断されたのち、国鉄清算事業団経由で高森町に無償譲渡され、掘削済み延長2,050mのうち550mをトンネル公園として開放している。(参照:高森湧水トンネル公園|観光スポット - 高森町公式サイト、高千穂鉄道高千穂線#未開業区間 - Wikipedia)。
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トンネル坑口付近が広くなっているが、これはここに高森駅を移設予定であったためだそうだ。
ここから真っ直ぐ前方に進むと高森線の線路があるが、現在の高森駅はそこから北へカーブした先にある。前回記事で高森駅のホームが曲線上にあったのはそれだ。
入場料300円を払い、坑内へ。
中央が水路になっており、クリスマスツリーが吊るされている。
途中から中央部に板が渡されるように。
最奥部の手前にあったウォーターパール。
まるで粒状に放水されているように見えるが、シャッタースピードを遅くすると……
ただの水流であることが分かる。
ウォーターパールの仕組み。
ストロボライトの点滅数を変化させ、残像により水流を粒状に見せかけているのだそうだ。
そしてこれが550mの最奥部。
右半分からは掘削時に出水した水が今なお湧出している。
壁面にあった距離表示。立野からの距離だろうか?
トンネル入り口の壁面に記された数字。
あまり定かで無いのだが、コンクリートの巻立て厚さを表す数字であったかと記憶している。
1977-1の数字。以下の画像にあるしゅん功日だろう。
高森ずい道(高森トンネル)の銘板。
型式の特1号型は(ソース不明であるが)交流電化にも対応できる断面である。『着手:昭和48年12月5日』は先述の着工日、『しゅん功:昭和52年1月31日』は上の画像の日付がそれであろう。
トンネル公園を出て階段を登ると、畑と住宅の向こうに阿蘇の山々。
高森駅前へ。
高森駅へ戻ってきた。
『阿蘇ゆるっと博』ラッピングの南阿蘇鉄道MT-2001号車。
16:16、普通 立野行 列車番号18 MT-2001号車(単行ワンマン)乗車。
16:43、終点の立野駅到着。
16:49、普通 肥後大津行 440D キハ147 182(先頭車、2両ワンマン)乗車。
肥後大津で慌ただしく次の列車に乗り換え。
17:03、普通 熊本行 1472M クモハ815-10(先頭車、2両ワンマン)乗車。
17:44、終点の熊本駅に到着。
熊本駅入場券(券売機券・小児券)。
JR熊本駅。
新幹線開業1年後で、在来線部分の高架化工事中であった。
駅前の熊本駅前電停から、A系統 田崎橋行 1354号車に乗車。
折り返しとなる、A系統 健軍町行 熊本市電1354号車に乗車。
通町筋電停で下車し、徒歩で中心市街地を移動しつつ熊本電鉄藤崎宮前駅へ。
駅への入り口が分からず迷うも、無事到着。
御代志行 熊本電鉄6228A号車(最後尾、2両ワンマン)乗車。
かつて都営地下鉄三田線で走っていた、東京都交通局6000形の譲渡車両。
路線図。
熊本電鉄の系統としては、中心市街地の外縁・藤崎宮前~御代志間のものと、上熊本~北熊本のシャトル運転系統の2本がある。
それにしても驚いたことが、夕方~夜という通勤・通学時間帯であるにもかかわらず、路線の半分ほどを過ぎたところで2両の電車に乗客が片手で数えるほどしか居なかったことである。
藤崎宮前駅が中心市街地からは少し外れており、ほぼ全線に渡り道路が並走、御代志から先はバス連絡になるということで、熊本市中心部~御代志(御代志以遠を含む?)間の需要は並走する自社バスで賄っているのかもしれない。
折り返し、藤崎宮前行 6228A号車(先頭車、2両ワンマン)に乗車。
北熊本駅で下車し、上熊本行に乗り換える。
上熊本線 普通 上熊本行 5102A号車(単行ワンマン)乗車。
なんと昭和32年製造(東急車輌製)の東急5000系(初代)最後の営業運転車である。
先頭車の連結面側に運転台を増設改造して使用している。
吊革に残る『東急百貨店』の文字。
オリジナルの先頭部が残る運転台。
終点、上熊本駅に到着、熊本電鉄完乗。
暗闇の中の5000形。
2017年4月現在、この区間の運用には譲渡された東京メトロ01系が充てられている。
JR上熊本駅にて購入した入場料(券売機券・小児券)。
次はそばにあるこちらへ。
熊本市電上熊本駅前電停。
車庫が併設された終端駅で、2面3線となっている。
入線してきた熊本市電8502形。
車番と局章。
B系統のサボ。
8502号車の車内。
転換クロスシートの路面電車というのは珍しいように思う。
かつて変動運賃だった時代に使っていた運賃表示器を、停留所表示のみ使用しているように見えた。
B系統 健軍町行 熊本市電8502号車に乗車。
熊本市電を完乗して、折り返しのB系統 上熊本駅前行 熊本市電8502号車に乗車。
味噌天神前電停で下車し、この日はJR新水前寺駅付近のネットカフェにて仮眠。
その14に続く。
北海道新幹線札幌開業時の輸送体系(その2:新幹線の本数とか)
前の記事の続き、とはまた違うけれど関連する話。
arthur8.hatenablog.com
前記事の投稿が1年前なのはご愛嬌。こっちのクソブログなんて誰も見てないからね、しょうがないね。
さて、新函館北斗開業から1年、既開業区間では乗客数が当初予想を上回ったとのことで、それなりの実績というところ。
2030年度の札幌開業に向けて絶賛工事中
arthur8.blog.shinobi.jp
(↑メインブログの方で昆布トンネル付近を通過した記事)でありながらも、札幌駅の位置が決まらないという迷走ぶりで、こっち関連の記事もそのうち書くとして、今回は新幹線そのものの輸送体系(本数・区間等)の予想と、希望と言う名の妄想をつらつらと。
道南乗り鉄&ドライブ2016(その16:蘭越→ニセコ→留寿都→壮瞥→伊達)
道南乗り鉄&ドライブ2016(その14:洞爺駅→豊浦→道道32号)
その13の続き。
室蘭市内を出発し、室蘭本線のいくつかの駅に立ち寄り、洞爺湖町までやってきた。
次はこちら、洞爺駅を訪問。
特急停車駅、かつ洞爺湖温泉の玄関口とあってか、立派な造り。
この駅を訪問するのは、2006年の春以来10年ぶり。
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駅舎内へ。
みどりの窓口と改札口。
改札上には液晶式の発車標。
タッチパネル式券売機とみどりの窓口。
券売機と窓口の間には駅レンタカーの営業所がある。
反対側は待合スペース内のKIOSK。
右奥はトイレと、その先の洞爺駅交流センターや多目的ホール、駅裏の洞爺湖町役場への階段がある。
洞爺駅入場券(マルス券)。
洞爺駅入場券(券売機券)。
洞爺駅を後にし、国道37号を豊浦方面へ。
狭小トンネルがいくつか続く。
豊浦市街を抜け、豊浦ICの前を通り過ぎたところ。
この大岸駅方面とは逆、右折先の何も書かれていない方向へと進む。
道道32号豊浦ニセコ線。
噴火湾沿いの豊浦町と後志管内のニセコ町を結ぶ道道。
早速現れる「走行注意 6.2km先幅員減少 未改良道路」の標識。
確かに6kmほど進むとゲートが。
道路も心なしか荒れているように見える。
上を跨いでいくのは前日通った道央自動車道。
道央道をくぐると、ついにダート区間の登場。
ここから6kmのダート区間で峠越えだ。
「幅員3mの砂利道 大型車通行困難」
「この先Uターン不可」といった警告の看板が並ぶ。
多少路面に窪みが見られるものの、締まっていて走りやすい。
森の中を登っていく。
待避所の予告。
ちなみに、このダート区間を走っていてすれ違った車はレンタカー1台のみであった。
少し明るくなってきた。
この辺りが峠のようだ。
道道は下りに転じる。
前方が開けてきた。
一見すると畑のように見えるが、左手の植生からすると熊笹が生い茂っているだけのようだ。
久々に電線が現れた。
右手の土地は人の手が入っているように見える。
と思ったら、左手に人家が。
ようやく人里へ降りてきたようだ。
再び舗装路となったが、1車線のまま。
舗装の状態もあまり良くなく、ところどころ窪みがみられる。
2車線になると、道道914号との交差点。
ここをニセコ・蘭越方面へ直進。
この標識、右折方向に「豊浦市街」とある。ここで分岐している道道914号新富神里線とその先の道道702号美和豊浦停車場線を経由するルートが最短経路であろう。豊浦市街から蘭越方面へ抜ける際、今しがた通ってきた経路ではなくこちらの経路であれば、2車線舗装路を快適に走ることができる。
直線区間。
と、ここでふと現れる「新幹線工事を行っています」の看板。
平成34年3月12日まで
北海道新幹線 昆布トンネル(桂台)他工事
とのこと。2030(平成42)年度末をめどに工事が進められている、北海道新幹線新函館北斗~札幌間の工区のうちの1つだ。
北海道新幹線はこの付近で昆布トンネルと新青森寄りの内浦トンネルで挟まれた明かり区間となっており、道道37号を昆布架道橋で跨ぐ予定。昆布トンネルは、北海道新幹線新青森起点263.495km~273.905km地点までの10,410mに渡り掘削されるもの。トンネルそのものの掘削は2014(平成26)年に開始されたとのことである(参照:北海道新幹線の整備状況 - 暮らしの情報 | ニセコ町 - ニセコ町公式サイト、9 内浦トンネル付近(PDF) - 北海道庁公式サイト)。
蘭越町に入る。
ここにも新幹線工事の看板。
こちらも昆布トンネルの桂台工区であるが、Googleマップの航空写真で見ると、トンネルの坑口が確認できる。
正面に、スキーリゾートとして知られるニセコの山々が見えてきた。
国道5号に突きあたると、道道は終点。
ここを左折し、黒松内方面へ。
その15に続く。